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ゴッホ展「ゴッホとブリテン」 展覧会レポート

投稿日:2019-12-15 更新日:

ゴッホ展

ゴッホとロンドンと私

今回はロンドン、テートギャラリーでのゴッホ展のレポートです。この夏、"VAN GOGH AND BRITAIN” という美術展がロンドンで開催されていました。

あまり知られていないかもしれませんが、ヴァン・ゴッホは2年ほどロンドンに住んでいたことがあり、この滞在がのちの彼の画家になる決心や作風に大きく影響を及ぼした奇跡を辿ります。

ゴッホ展。嬉しいです。。そもそも、私のゴッホとの出会いは家にあった画集、そして両親が買ってくれたゴッホの伝記本でした。子供時代、ゴッホの画風のみならずその人柄や純粋さに惹かれ、すっかりゴッホファンになりました。

そしてイギリスに移り住んでから数年後、当時住んでいた家の近くのゴッホが住んでいた家がオークションに出されている、という記事を読んで見に行きました。車で数分のところにゴッホが住んでいたなんて!興奮がおさまりませんでした。

で、ネットをいろいろ調べていくうちに、なんとなんと、家から歩いて1分ぐらいのところにも住んでいたと言う情報が!!(残念ながらその家がもう取り壊されておりましたが。)と言うことで、私がイギリスに来てここに住んでいると言う運命を、勝手ながら感じたわけであります。

さらに、、ゴッホがイギリスに住んでいる間、宿屋の主人の娘さんに恋をしてしまったらしく、その時になんと私が大学時代に専攻していたジョン・キーツの恋の詩を読んでいたと言うではありませんか。

これはやはり運命ですね。。(勝手に。)

 

またこの頃、実はゴッホが自殺したのではないのではないか。というセオリーが浮かび上がってきたというニュースを目にしました。

ゴッホと言うと頭のおかしい画家、自ら命を絶った悲劇の人と思われていました。それが、銃を受けたのは事故で、撃った人の名前はかばって言わなかった、といったものです。

ゴッホが精神病院に入っていたことも事実なのではありますが、なんとなくそちらの方がしっくりくると言うか、そうであって欲しい。という方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

数年前にも、ロンドンでゴッホと弟テオの間で交わされた手紙の展覧会がありました。ゴッホの手紙はテオの家族によって大部分が残されています。ここでゴッホが何を思い何をしていたのか。などが大体読み取ることができる非常に重要な資料になります。

その美術館で非常に印象的だったのが、ゴッホが読書家であること。とても知的な人なんだと印象でした。

今回の展覧会はどんなものだったでしょうか。以下印象に残ったものをお伝えします。省略している部分もありますのでご了承ください。

 

ゴッホ展へ

では前置きはこの位にして、本題に移りたいと思います。

<チケット>

友達と土曜日にこの展覧会を行くことに決めてから、ウェブサイトに行ったらチケットが売り切れ。日にちが決まっているチケットなので、土日は人気のようでした。

チケットを2週間後で予約してやっとこさ行くことができました。イギリスでは最近前売り券が売り切れの展覧会が多いです。人数調整をするために前売りのチケットを時間割で販売しているためです。なのでものすごく人がぎゅうぎゅうで入れない、と言う事はなくなるので良いシステムなのですが、ちゃんと予約しておかないと展覧会自体を逃してしまうことになります。ですが、当日券も毎日少しづつ販売するので、早くから並ぶのがいやではない方やチケット逃した人はこの方法があります。

テートブリテンはプラタナスが沿道に生い茂るテムズ川沿いにある美術館です。
ブログ:ロンドンの美しい並木道がなくなる?プラタナスのお話

おそらくゴッホもロンドン滞在時に、通勤や美術館巡りで歩いたであろう街道です。10時入場のチケットでしたので10時ぴったりに行ったところ、それほど並んでいる様子はありませんでした。当日券目当ての列は少しありました。入荷も非常にスムーズで、携帯のメールに送られたチケットのQRコードを入り口で見せるだけです。

ゴッホ展テートブリテンゴッホ展入り口

 

会場内へ

場内に入りました。

入るといきなり以前見に行った、ゴッホの住んでいた家の写真が壁一面にバーンと出てきました。ゴッホはここからコベントガーデンまで歩いて通っていました。歩くと一時間ほどの結構遠い距離ですが、散歩を楽しんでいたようです。

ゴッホの家

 

この展覧会では2部で構成されています。
1部はゴッホはどのようにイギリスに影響を受けたか。
2部はその後イギリスのアーティストがいかにゴッホに影響を受けたか。
です。

中に入ると早速、本。
ゴッホが愛読したもので当時の出版されていた本だそうです。

ゴッホ展、本

ゴッホは母国語オランダ語の他、英語、フランス語を話し、ドイツ語を読めました。シェイクスピアやディケンズ、トマス・カーライル、ストウ、エリオット、ゾラやモーパッサンを原語で読んでいたと言います。

“本を読むということは絵を見てるみたいなんだ” とテオに手紙で書いているように、この展覧会の最初で本が陳列されているのは納得です。とにかくゴッホの絵の原点と言っても過言ではないと思われます。

「ある婦人の絵」The Arlesienne (F542)と言う絵の中には、2冊の本がテーブルの上に置かれています。

ゴッホ

題名はディケンズの「クリスマスキャロル」のフランス語バージョン、そしてもうひとつは「アンクルトムの小屋」。どれだけディケンズファンかがわかりますね。

他にも絵の中に本が描かれているものがいくつかあるので、後ほどご紹介します。

 

On the road - Van Gogh and England
ゴッホとイングランド

ゴッホは1873年5月、20歳の時にロンドンにやってきました。親戚が経営するグープル商会という会社のアートディーラーのトレイニーとしてのここでの2年間は、その7年後にアーティストとしての彼の作品に大きな影響を与えたようです。

南ロンドンのストックウェルとオーバルに住み、仕事場であるコヴェントガーデンまで徒歩やボートや地下鉄で通っていました。その通勤通路にある景色を描いたものが展示されています(下写真)。今と比べるとビルもなくとてもすっきりとした街並みであるようです。こんな景色を見ながらゴッホは過ごしていたんだなーと。

ロンドンでは、ロイヤルアカデミーやナショナルギャラリー、ブリティッシュミュージアム、ウォレスコレクション、ハンプトンコート、ダレッジ美術館などへ行き、イラストレイテッドロンドンニュースという雑誌を読み、チャールズ・ディケンズやジョージ・エリオットを読んでいたようです。

年収90ポンドと言う当時ではなかなかの給料をもらっていましたが、仕事はあまりうまくいかずに結局やめることになり、ロンドンの郊外にて教師として働くことになりました。

また宗教にも興味を持ち、ラムズゲートやケント地方、アイルワースでの過酷な労働をしている人たちに対して説教をしていました。これも後の彼の芸術にも大きく影響しています。

ただ仕事はあまり好きではなかったようで、この時期に、午後はスケッチをするようになります。そしてオランダに帰り、画家として活動スタート。

展示ではゴッホがロンドン滞在中にテオに送った手紙の実物がいくつか見れました。なかなか可愛い字体です。

 

<ゴッホのロンドン>

展示ではロンドンの当時の地図上でのゴッホの行動範囲を見ることができました。

Giuseppe De Nittis の「the vistoria embarkment london 」(1875)という絵には当時のエンバークメントの風景が。のちのテオへの手紙には、「この絵を見るとどれだけロンドンが好きだったかってわかるよ。」と綴っています。

川の南側の道をビッグベン方向へ歩いていく川沿いの道は、ゴッホの毎日の通勤経路だったかもしれません。何を考えながら歩いていたのでしょうか。。

ゴッホ展 ビッグベン

ゴッホ展ビッグベン

by Pixabay

ビッグベンにもっと近づいた同じ道からの風景は現在とそれほど変わっていないかもしれませんね。

 

<街道>

ゴッホがナショナルギャラリーに展示されていたものの中で特に気に入っていたのが、この”The Avenue at Middleharnis” 1689 by Meindert Hobbema。(現在もナショナルギャラリー所蔵)

Meindert Hobbema 001.jpg
By Meindert Hobbema - [1], Public Domain, Link

オランダ風景画の黄金時代を築いた人だそうです。この街路樹の構図はゴッホに強く印象を与え、後年の作品に反映されます。

 

<秋の風景>

ここで展示されているのは、ミレーの "Chill October" そしてコンスタブルの "The Valley Form"。この絵について、テオに手紙で書いています。そしてジョン・キーツの詩 「秋に寄せて」"To the autumn"がすごく良かったと。

確かに絵と詩がイメージぴったり。この頃ゴッホは失恋していたこともあり、ちょっとセンチメンタルなトーンに惹かれていたようです。この2つの絵はのちの、「ジャガイモを食べる人々」にも影響されていると言われます。

上記のHobbemaの並木道の構図と、秋のメランコリーな色彩が組み合わさった3つゴッホの絵が展示されていました。

ゴッホ展並木道

Road in Etten 1881

3つともひと気が少なく、一本のまっすぐな道に背の高い木が沿道に植えられています。この時のゴッホの孤独な心境と将来への不安を表しているのでしょうか。

 

<Avenue in Provence>

ゴッホは晩年までこの秋の街路樹を描き続けたのですが、フランスに移ってから少し作風に変化が見られるようになりました。さらに色彩を帯び、ダイナミックになっていきました。描かれた人にも活気を感じます。ここで後年のゴッホ独特の筆つかいが試されていくようになります。

ゴッホ展木

Path in the Garden in the Asylum, November 1889

色彩が少し鮮やかになり、青い空や紅葉した葉もオレンジ、また黄色味がかった色彩に変化しています。

ゴッホ展幹

The Stone Bench in the asylum at Saint Remy , autumn 1889

 

Black and White
モノクロの版画からの影響

<版画>

“イギリス人は偉大な芸術家だ”

イギリスには新聞や雑誌のイラストが当時の世相を表現していました。その中でも版画がゴッホの作品に大いに影響しています。

当時、ロンドンの風景や生活を描いたプリントが数多く展示されていました。収集してスクラップ保存したり、部屋を飾ったりプレゼントとしても使える、大変人気のものだったようです。

ゴッホ展白黒

高価なものだったらしいのですがゴッホも何枚か手に入れたようです。版画は上流階級から貧民層まで多様な題材で描かれています。まさにディケンズの世界そのもの。後のゴッホの初期の絵に大きく反映されています。

ゴッホ展エッチングゴッホ展エッチング猫

全然関係ないのですが、猫が可愛過ぎました。。

 

<夜の川辺>

有名な「星月夜」 Starry Night 1888  は晩年に描かれたガス灯が印象的な絵ですね。ゴッホがロンドンにいた当時、ロンドンのエンバークメント辺りのテムズ川沿いはトレンディーな場所。ゴッホも忘れられないロンドンの思い出だったに違いありません。その後もテムズ川を描いた絵を購入したり、フランスでも川沿いの絵を描いています。これもイギリスの版画からの影響があります。

ゴッホ展星降る夜

Gustave Doreと言う画家はゴッホがもっとも影響を受けたと思われるアーティストの中の一人です。
ディケンズの話に出てきそうな、掃除夫、貧困層が住む家の裏庭を描いたものや、内職をする女性、はた織り職人などを描いていました。ゴッホは非常に似た構図の絵をたくさん描いています。

ゴッホ展ドレ

Gustave Dore 'Evening on the Thames'  1872 はゴッホが所有していたものです。

ゴッホ展夜景

by Pixabay

ゴッホが見た風景はこんな感じかなー。

 

<肖像画他>

ゴッホは肖像画をよく描きました。その原点となったのがロンドンで見たさまざまな肖像画でした。
移民や貧困層の人々を描いている作品に特に興味を持っていたようです。

チャールズ・スタンレー・レインハートの'Sorrowing in Charles Dickens'と言う絵はディケンズの'Hard Times'と言う本の挿絵です。椅子に座った男性が手で顔を覆い疲れた様子の構図が、のちの有名なゴッホの「永遠の門」At Eternity's Gate 1890 に繋がっていきます。

精神病院へ入院している間に、同じく入所している男性を描いたものです。

ゴッホ展 天国の門

 

また、ディケンズの未完の最後の作品「エドウィントルードの謎」の挿絵を描いたグラフィックアーティストLuke Fildes が、ディケンズが亡くなった後に部屋を訪れ、書斎の様子を描きました。(Empty Chairs,1870) ディケンズが座っていた椅子が描かれているこの作品に感銘を受けたゴッホは、後年、あの有名な椅子の絵を描くことになります。

ゴッホ展 ディケンズの椅子

 

刑務所モチーフもゴッホを惹きつけました。ゴッホは現在のテートブリテンの所にあった刑務所近くを歩いていたのであろうと思われます。ディケンズの小説の中にも刑務所は多く出てきますので気になっていたのかも。

Doveの刑務所の版画を所有しており、模写を描いています(下写真)。ちなみにこの絵の中の左上の蝶々には気がつかなかったです。ちょっと希望を感じさせるモチーフです。

ゴッホ展 刑務所

The Prison Courtyard 1890

 

A toi, Van Gogh!
ゴッホと交友関係について

1885年11月にオランダからアントワープへ移動し、その後パリへ。
そこではたくさんの画家やアーティストと交流します。また印象派の展覧会も開かれました。
親交があったのは、フェルナン・コルモン、ルイ・アンクタン、エミール・ベルナール、ロートレック、シニャック、ピサロ親子 , ゴーギャン、スーラ、シャルル・ラヴァル、ジョン・ラッセル、アーチーボルト・ハートリック など。ゴッホはオランダ語、フランス語の他、英語も話したので、パリではイギリス人のサークルにも入っていました。

画家同士、議論を交わしたり絵を交換しあっていたようです。何しろ印象派への世間の評判はよくなく、芸術界の保守派から厄介者扱いされていた人たち。絵もそれほど売れなくて、お金の無いギリギリの生活をしている画家が多く、ゴッホは弟テオに仕送りをしてもらっていたものの同じような状況でした。

ロンドンには'Graphic'というアーティスト集団があり、ゴッホはそれと同じようなものを作りたかったので、アルルの黄色い家を借りました。ですがそこに来たのはゴーギャンだけ。結局うまくいかないまま終わってしまいました。。

それでもゴッホの絵に理解を示す人もいましたし、数人とは交流があったようです。
カミーユ・ピサロの息子であるルシエンとは同じくイギリスに滞在経験があり英語を理解する間柄で、親交を深めました。スーラからドットの技法のインスピレーションを得て一緒に実験を繰り返していました。

ゴッホ展ピサロ

Path in the Woods 1887

ゴッホがパリを離れた後も、ピサロ一家はテオと親交を深め、ゴッホから送られてくる絵を楽しんでいたようです。ルシエンはゴッホの葬式に参列した後、イギリスに移り住み、ゴッホの絵から影響を受けたとおもわれる作品を多数描きました。また彼はゴッホとおそらくテオと思われるスケッチを残しています。

アレキサンダー・レイドはスコットランド出身のアート商人。テオと仕事をしていました。テオとゴッホが一緒に暮らしていた時に、下宿していた思われます。

ある日ゴッホが店の前でリンゴを見つめていたので、レイドが買ってあげると、ゴッホはお礼にそれの絵を描いてレイドにプレゼントしました。もうひとつのリンゴの絵はルシエンに。レイドはまたそのお礼にMonticelliの'Vase with Flowers"という絵をプレゼントしました。

ゴッホはこの厚めに塗った絵に影響を受け、たくさんの花を描くようになります。Monticelliの故郷の南フランスであるアルルにスタジオを作ったのは偶然ではないでしょう。彼の作風をからゴッホは自分自身のやり方へ発展させ、ひまわりに繋がりました。

ゴッホ展りんご

Still Life, Basket of Apples 1887

その他、ここではゴッホに影響を受けた画家の絵を見ることができました。

ゴッホ展人々

 

ゴッホの死後

彼の死から20年後1910ー1911年に、ロンドンで ’Manet and Post Impressinists' という展覧会が開かれます。当時25000人が来場し大盛況となりました。

イギリスでの展覧会の影響は大きく、精神的なものと悲劇的な死に関するストーリーが誇張され、誤った解釈がされ辛辣な批評が多かったようです。たまたま死の直前に描いた「カラスのいる麦畑」Wheatfield with crows 1890 や「ヤグルマギクをくわえた若い男」Young man with cornflower 1890 という作品がクローズアップされてしまいます。当時のメディアの風刺画が大きく壁画で見ることができました。

ゴッホ展印象派展

ですが頭のおかしな芸術家という批評が多い中、ゴッホの作品を擁護し才能を認めていたものも少なからずいました。「ルーラン夫人ゆりかごを揺らす女」 Augustine Roulin 1889は、友人だった郵便局員のルーラン氏の夫人を描いたものですが、こちらは「ひまわり」と共に絶賛されます。

ゴッホ展ゆりかご

Walter Sickert やGilman、Goreはゴッホに多大な影響を受けたと思われます。特にGilmanはゴッホの手紙のコピーを持っており、作品のコピーや絵葉書を所有していました。さらにゴッホの夢だったアーティスト集団を自分自身で作ることにしました。ロンドン郊外にクリエイティブグループを作り、少なくとも23人の画家がいたようです。

こちらはGilmanに影響を与えたとされる絵。個人的は今回ナンバーワンの作品です。写真ではこの色の美しさが出ないのが残念。。

ゴッホ展ゆりかご

Trunk of an Old Yew Tree 1888

 

ひまわり

ゴッホは、最初の4つのひまわりの絵をたったの1週間で書き上げました。それはアルルに来るゴーギャンのためでした。日本のSOMPO美術館にもひまわりありますね!

1910年の「マネとポストインプッショニスト展」では、人々はあまりにも斬新な描画に驚くとともに、Madman & Geniusと絶賛。そしてこの中でもっとも重要なものが「ひまわり」でした。

この絵はナショナルギャラリーのキュレーターが、ゴッホの義姉であるBonger氏に売却を依頼しましたが断られ、その後ロンドンでのゴッホ展覧会(1923)へ貸し出しされた後、ついに1924年にナショナルギャラリーに買われました。資金はテキスタイル会社のオーナー、コートールド氏からの50000ポンドの寄付の中から支払われました。(ちなみに彼はのちに印象派コレクションで名高いコートルドギャラリーを作ります。)

ゴッホ展 ひまわり

Sunflowers 1888

その後、そのひまわりはナショナルギャラリーのもっとも重要な作品として現在でも見ることができます。

ゴッホは自分のサインを書く場所がお茶目なんですよね。この絵も花瓶の所に入れてます。ルーラン氏の肖像でも背景の壁紙に溶け込ませていたりします。こういったちょっとユーモアのある遊び心を持った芸術家は当時それほどいません。

ちなみにこの花瓶はフランスで庶民的な陶器です。こちらについてはちょっと記事で書いてますので、よろしければご参考ください。
ブログ:イギリス アンティークマーケット巡り日記〜Detling

そしてこれがブームとなり、当時の芸術家たちはこぞって花やひまわりを描きました。

 

世界大戦中後のゴッホ

最後の作品がどれか。ゴッホは死の直前たくさんの絵を描いていました。ゴッホが銃弾を受けた場所に非常によく似ているという理由で、映画1956年の映画で描写された「カラスのいる麦畑」Wheatfield with crows 1890 が優勢でした。ですが、2つの唯一の未完成作品のうちの一つがやはり最後の作品だという説が今では一般的です。

ゴッホ展最後の絵

Farms near Auvers 1890

 

ゴッホが重要な画家として人気を得たのはまさに2つの世界大戦の間。特に彼の精神状態や自殺という歴史がその当時の極端に緊張した世界情勢に呼応していました。また1923年のゴッホ単独の展覧会もゴッホをスターダムへ押し上げます。そしてナショナルギャラリーがテオの妻より絵を数点買い上げることになりました。

彼女はイギリスでのゴッホの評価を望んでいました。すでにオランダ語、フランス語、ドイツ語で出版されていたゴッホのテオへの手紙も出版を希望していました。

そして1920年にはゴッホの手紙や伝記、画集など、ゴッホに関する本が出版されるようになります。さらにアーティストたちがこぞってゴッホの技法からインスピレーションを受けて作品を描き、特にひまわりや花の絵が大流行します。

また画家たちの間で1883-5年に描かれた小屋シリーズやプロヴァンス地方がブームとなります。ゴッホが精神病院に入院していたところからすぐのところにオリーブ園があり、体調がいい時にはここで絵を描くことを許されていました。くねくねとした古代オリーブがお気に入りだったようです。

そんなゴッホのプロヴァンスの絵に触発されたAuguastus John はプロヴァンスへ移り住み、ゴッホが描いたオリーブの絵を描きました。Roger Flyや他のサークルメンバーもプロヴァンスツアーを組みました。

戦争中にはゴッホの絵は、他のアーティスト同じようにドイツナチスによって虐げられました。ゴッホの絵は銀行家や芸術家の人々によって隠され、保存されました。

戦後はゴッホの展覧会がテートギャラリー、バーミンガム、グラスゴーで再び開催され、戦後の疲れ果てたイギリスに生命と喜びを与えました。1日に約5000人もの人が来場し、合計で36万5千人までに。開場外では長蛇の列ができ、会場の床は抜けてしまうほどでした。そしてゴッホへの批評も変わっていきます。「第3の男」という映画の背景にゴッホのひまわりがかけられているのを見ることもできます。

ここではゴッホに影響を受けた画家たちのポートレートや戦後に風景画に影響を受けた画家が紹介されていました。

 

ゴッホと本

19世紀には本はとても貴重品でした。ゴッホの家にも本があって子供たちはこっそり読んでいました。学校で英語を習い、ディケンズなどを読んでいました。その後も読書家で、手紙の中でもおよそ800の本と150の著者が言及されているそうです。またゴッホは自分が好きな絵を作品中に描いたりしていました。

これを読んだらきっとゴッホの作品がより楽しめること間違いなし、ということで、以下代表的なものをリストしますので、ご興味ある方は読んでみてください。

<絵の中に描かれた本>

作品:「3冊の本のある静物」Still Life with Books (F335)
本:Braves Gens 著者 ジャン・リシュパン Jean Richepin
本:「ボヌール・デ・ダム百貨店」 Au Bonheur Des Dames  著者:エミールゾラ Émile Zola
本:La Fille Elisa  著者:エドモン・ド・ゴンクール Edmond de Goncourt

作品:「石膏像、バラと2冊の小説のある静物」 Still Life with Plaster Statuette, a Rose and Two Novels 1887 (F360)
本:「ベラミ」Bel Ami  著者:モーパッサン Guy de Maupassant
本:「ジェルミニー・ラセルトゥー」Germinie Lacerteux 著者:ゴンクール兄弟 Edmond and Jules de Goncourt

作品:「アルルの女 (ジヌー夫人)」L'Arlesienne 1890 (F541)
本:「クリスマスキャロル」 著者:チャールズ・ディケンズ Christmas Carol
本:「アンクル・トムの小屋」Uncle Tom's Cabin  著者:ジョサイア・ヘンソン Josiah Henson

作品 「キョウチクトウのある花瓶と本」  Oleanders 1888   (F593)
本:「生きる歓び」La joie de vivre  著者:エミールゾラ Émile Zola

作品:「静物:画板、パイプ、玉ねぎと封蝋」Still Life with a Plate of Onions, 1889   (F604)
本:Annuaire de la Santé  著者Dr. François Vincent Raspail and Other.

作品:「医師ガシェの肖像」 Portrait of Dr. Gachet , 1890  (F753)
本:「ジェルミニー・ラセルトゥー」Germinie Lacerteux 著者:ゴンクール兄弟 Edmond and Jules de Goncourt
本:「マネット・サロモン」Manette Salomon      著者:ゴンクール兄弟 Edmond and Jules de Goncourt

 

<手紙の中に出てくる本の作者>

1870's
聖書ほか宗教的な本
トマス・カーライル
ジョージ・エリオット
チャールズ・ディケンズ
ビーチャー・ストウ
シェイクスピア
ジョン・キーツ他

1880's
エミール・ゾラ
オノレ・ド・バルザック
ギュスターヴ・フローベール
ギ・ド・モーパッサン
アルフォンス・ドーデ
ピエール・ロティ
ゴンクール兄弟他

 

ゴッホの生涯を描いたおすすめ映画

ゴッホの人生を想像するには、やはり映像で見るのが一番かもしれません。いくつか映画とドキュメンタリーをご紹介します。ストリーミングは時期によって扱うサイトが変わってきますので、DVDでご紹介しますね。

●「炎の人ゴッホ」 Lust for life   (1956 )  カークダグラス主演の古典映画。お話はグープル商会をやめオランダへ戻り、適職を求めてゴッホが牧師として貧しい地域へ行くところから始まります。筋としてはまさに教科書通り!なので入門編としてこちらをまずご覧になるのもいいかと思います。

●「ゴッホ」 VINCENT & THEO (1990) ティム・ロス主演。テオに焦点を当てて作られています。テオはゴッホにはなくてなならない存在なのですが、ゴッホとテオとの関係を濃厚に語る映画はこれだけです。こちらで別に見るのもお勧めします。

●「ゴッホ 真実の手紙 ドキュメンタリー」 Van Gogh - Painted with Words  (2010 ) ドキュメンタリーでありながら、同時進行でベネディクト・カンバーバッチがゴッホを演じています。映画とは違った面白さがあります。主人公が語る形式はちょっとシェイクスピアの劇のよう。カンバーバッチファン必見です。

●「ゴッホ 最期の手紙」  Loving Vincent (2017) 俳優がグリーン背景で演技し撮影した6万5000フレームを125人の画家で構成されたチームによってゴッホと同じ技法を用いてキャンバス上に油絵で描かれ、4年をかけて制作されたもの。やはり最後の筋が好きです。オスカーにもノミネートされました。こちらは制作ドキュメンタリーもあります。こんな風に作ってたんだーと感動します。映像とゴッホのタッチで描かれた絵の合成で、ゴッホが描いたたくさんの肖像画から出てきたキャラクターたちが登場します。

●「永遠の門 ゴッホの見た未来」At Eternity's Gate (film) (2018)上記でお伝えした男性が手の絵の題名がタイトルの作品。ウィレム・デフォーのゴッホは数々の主演賞を受賞。画家としてパリに滞在していた頃から、すぐにアルルへ行くところから始まります。カメラワークが素晴らしいです。90度に曲がったり手持ちカメラで走ったり、セットもリアリティーがあります。セリフがないシーン、歩くシーンが多いのもゴッホの孤独と無限に被写体を求める姿がよく表現されています。

個人的には「ゴッホ最期の手紙」がおすすめです。
映像とゴッホのタッチで描かれた絵の合成で、ゴッホが描いたたくさんの肖像画から出てきたキャラクターたちが登場します。また、俳優さんたちも有名な方ばっかりなんですが、絵にそっくりで感動しました。

 

まとめ

いかがだったでしょうか。ここで紹介したゴッホについてはほんの一部に過ぎません。人生最後のところだけ劇的に捉えられがちなゴッホですが、もっと人間的で思いやりもあるゴッホを紹介するにはもっともっと時間が必要です。。

が、この展覧会ではどれほどゴッホが、ディケンズやエリオットの文学、美術館の絵や雑誌、本の挿絵、グラフィックプリントなど、イギリスの文化に影響を受けたのかが改めてわかります。

「僕の人生の全てはディケンズやその他のアーティスト描いた日常を絵で描くことに捧げる」と本人が言っていたようです。そして、彼は死後に今度は自分自身が以後のアーティストに大きな影響を与えることになろうとは想像していたでしょうか。

たった10年の画家としての生活で彼は、800点以上の作品を残しています。非常に集中して絵に没頭していました。まるで自分の命が短いのを知っているかのように、ものすごい情熱とエネルギーを注ぎました。

アートには2種類あると思います。一つは見る側にワサワサした感情を強く感じさせるもの、新しい感覚を沸き起こさせるもの。もうひとつは安定感。見ているだけでしっとりと心が安らぐ。ゴッホの作品は一見前者のように見えますが、実は後者だと私は思っています。特に日本人にとって浮世絵を手本にしていたゴッホの絵はどこか懐かしさも感じます。

彼の構図は常に完璧なバランスがあり、自信に満ちた線、色を巧みに使いながら全体を調和させる天才。精神的に不安定だと思われている人がどうしてあんなに見る人に安定感を与えるのでしょうか。この2面性がゴッホの何よりの魅力ではないかと思っています。

狂気の天才、というイメージの裏には彼の知性とひたむきさ、尊敬していた画家ミレー、ドラクロア、レンブラントや、ロンドンのグラフィックやその他印象派の画家たちの画法、文学、自然などから素直に謙虚に学ぶ姿勢があります。そんなゴッホをたっぷりと感じられた展覧会だったと思います。

ゴッホ展ショップ

ゴッホ展ショップ

 

参考文献
The ET Exhibition: Van Gogh and Britain, Tate 2019
Van Gogh The complete Paintings, Taschen 2006
The Letters of Vincent Van Gogh, Constable & Robinson 2003

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